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「投票に行かない勇気」

「バラマキさん」
「九時五時、僕の名前を福祉政策批判の文脈でよく用いられる言葉みたいに呼ぶんじゃない。僕の名前は阿良々木だ」
「そちらこそ、私の名前を現実にはそうそうありえない勤務時間みたいな名前で呼ばないください。私の名前は八九時です。一時間勤務です!」
「それ、勤務時間というより通勤時間だな。それで何の用だ、八九寺?」
「いよいよ参院選の投票日ですね。今年から18歳以上なら投票できるようになったので阿良々木さんも晴れて一票をもつに至ったわけです」
「ああ、選挙か。ぼく、ちょっとそういう政治がらみの話って苦手なんだよなあ」
「おやおや。まわりに羽川さんや戦場ヶ原さんがいらっしゃるんですから、教えを乞えばいいじゃないですか」
「いや、ぼくの場合そういうんじゃなくて、なんて言うか、若い人も選挙に行こう!ただし、ある政党には投票しないものとする、みたいな雰囲気が苦手でね」
「ははあ、好きに書いてくださいと言われているのに、正解がある感じと似ていますね」
「そう。だから投票するのもしないのも気が重くて」

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「阿良々木さん、勇気と最後につければたいていの言葉はポジティブに置換できますよ」
「そんな馬鹿な。日本語はそんな単純な構造にはなっていないはずだ」
「やってみますか」
「…やってみろ!」
「ではまずは小手調べから」

「白票を投じる勇気」
「やるなあ。やっていることは普通に無効票を投じただけなのに、うしろに勇気とつけるだけでまるでそれが正しい行為であるかのようだ。そんなことは一言もいっていないのに」

選挙での「白票」を「社会を変える力がある」とミスリードする謎の集団「日本未来ネットワーク」のサイトが突如出現 | BUZZAP!(バザップ!)

公職選挙法 第六十八条(一部抜粋、強調筆者)

衆議院比例代表選出)議員又は参議院比例代表選出)議員の選挙以外の選挙の投票については、次の各号のいずれかに該当するものは、無効とする
 七  公職の候補者の氏名を自書しないもの
2  衆議院比例代表選出)議員の選挙の投票については、次の各号のいずれかに該当するものは、無効とする。
 七  衆議院名簿届出政党等の第八十六条の二第一項の規定による届出に係る名称又は略称を自書しないもの
3  参議院比例代表選出)議員の選挙の投票については、次の各号のいずれかに該当するものは、無効とする。
 九  公職の候補者たる参議院名簿登載者の氏名又は参議院名簿届出政党等の第八十六条の三第一項の規定による届出に係る名称若しくは略称を自書しないもの

「支持政党なしに投票する勇気」
「なんと!すげえ。結果として騙されているだけなのに、まるでそうすることによって民主主義を守ったかのような印象がある。そんなことは、一言も言っていないのに!」

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「投票に行かない勇気」
「な、なんてことだ!もはやあとがない。なにもしてなく、無駄に権利を放棄しているだけのはずなのに、あえてその選択に身を賭し、大義のために民主主義を憂えているかのようだ。そんなことは一言も、本当に一言も言っていないのに!だけど、いま僕は権利を行使しないわけには…」

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「権利を行使しない勇気」
「権利を行使しない!」

「言葉のかっこよさに引きずられて、つい権利を行使しないでしまった!実際は権利を行使していないだけなのに。日本語って簡単だなァ…!」

bylines.news.yahoo.co.jp
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b.hatena.ne.jp
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この記事の元ネタはアニメ「偽物語」第一話Bパートにおける主人公・阿良々木暦八九寺真宵との掛け合い(勇気と~の部分)。アニメの原作は西尾維新による同名の著作

ところで60歳代の日本人人口およそ1,800万人に対して30歳代はおよそ1,750万人と大差がない。しかも20歳代の人口(1,300万人)は70歳代(1,270万人)よりも多い。
出典:−人口統計資料集(2015)−
若い人がどこに投票するかはさておき、もし高齢者並みの投票率となればこれまでとは違った政治風景が見られるかもしれない。
参院選は今日7月10日20時まで投票できる(一部地域を除く)。

君たちは白いキャンバスではない。

ドッカー・ノ・エライー学長が入学式で読んだ式辞が話題を呼んでいる。
ドーコニ・モナイ大学の入学式ではつい先月まで高校生だった若者たちが大勢座っていた。
そこに現れたエライー学長は、決まりきった挨拶のあと、こう切り出した。

「君たちは白いキャンバスではない」と。

白いキャンバス――この喩えは、よく無限の可能性を表すものとして用いられる。
曰く、君たちは白いキャンバスでそこには無限の可能性があるのだ云々…といった具合に。
エライー学長の念頭にはそれがあったのだろう。
それまで式辞に興味を示していなかった新入生も、その言葉にハッと顔をあげる者がちらほらといた。

「君たちは覚えているだろうか。初めてクレヨンを手にしたときのことを」

そう続けてエライー学長が話したのは、誰しもあったであろう幼いときのことだった。

「私は初めてクレヨンを手にしたとき、非常にわくわくした。私には描きたいものがたくさんあった。
ほかの友人には何を描いたらいいか戸惑っている者もいた。そういった者は先生に手ほどきをうけて上手になっていった」

私事で恐縮だが、私は後者のくちだった。ただクレヨンを持っては、手についたその色をぼんやりと眺めていた。
おそらく新入生も学長の話を聞きながら自分の小さいころを思い返していただろう。

「私はたくさんのものを描いた。だが、しばしば私が何を描いたか人に伝わらないことがあった。
実際のものを描いたのに想像上の生き物だと勘違いされたり、その逆だったりしたこともあった。
端的に言って私は悔しかった。どうして、みんな分かってくれないんだろうと。そういうときはクレヨンを手にしたくなかった」

今でこそ表現の世界で高い評価を受けているエライー学長にも、かつてそのような時期があったのだ。
遠いところにいると思われた人物の意外な過去に新入生も親近感を抱いたのか、最初のころよりも顔をあげて耳を傾けている人が多い。

「あるとき私は友達と大喧嘩した。私が猫だと思って描いているものを、その友達はどうしても犬だと言い張る。
最期には取っ組み合いにまでなった。そして最後にその友達が言い放ったことを、私は今でも鮮明に覚えている。
その友達はこう言ったのだ。お前の絵は分かりにくいんだと。私はあまりに衝撃を受けて固まってしまった」

当時のことを直接見たわけではないわれわれには、幼いエライーが実際に何を描いていたかは知る由もない。
ただ、学長の口ぶりからたしかにそのとき幼いエライーがよほど落胆していたことがよく伝わってきた。
過去を振り返るかのように間を置いて発せられた口調はしかし、存外に明るいものだった。

「友達に分かりにくいと叩きつけられた私はしばらく落ち込んだのち、すぅっと冷静になった。
私ははっきりと分かった。なぜ私の描いたものがその通りに人に伝わらないのかを。
あのときまで私にはそれが人からどう見えるかという視点がなかった。私に見えるように人にも見えていると信じていたのだ」

この言葉を耳にしたとき、私は思わずうなってしまった。
これでも文筆を生業にしている者として思い当たるところがないわけがなかった。
私は学長の話を聞くうちにどこかで自分の身と重ね合わせるように聞いていた。
新入生のうちにも顔に手を当てて宙を仰いでいる者がいた。きっと、似たようなことを経験したのだ。

「私は初めてクレヨンを手にした昂揚感そのままに描き散らしていったが、それは私だけのものであった。
絵に描いたものはほかの人の目にも触れて、その人なりに受け止められるということに気がつかなかった。
あれ以来、私の絵は変わった。なにより私自身が変わったのだ。きっかけを与えてくれたその友達には会えなくなった今も感謝している。
私は、君たちが白いキャンバスではないと言った。君たちにはあの日クレヨンを握った胸の高鳴りや戸惑いを思い出してもらいながら、
これから描こうとしているものを考えてみてほしい。そこに他の人はいるのか。独りよがりになってはいけない。
何を描いたらいいか分からなくなったり、何も描きたくなくなったりしたときには、自分にはないクレヨンを持っている人に会ってみるのもいい。
そうしてたくさんの彩りに富んだ大学生活を送ることができるよう祈念して、入学の挨拶とさせていただきたく」

エライー学長がそう言って式辞を終えると、自然発生的な拍手が会場に満ち満ちた。
なかには感極まって目もとを指でぬぐう新入生もいた。
思わず椅子から立ち上がって拍手をしていた私も、着席してからしばしの間はぼうっとしていた。
白いキャンバスなどではなく、一人ひとり異なった色のついた人生があるということを、エライー学長は描いてみせたのだ。

記者[ジューニン・トイーロ]

伊勢志摩で開催されているG7サミットで提供されたワイン

今回のサミットで提供されたワインはすべて日本のもの
内容は泡2本、白5本、赤4本、ロゼ1本。
それぞれの値段を見てみると、1000円台か5000円以上というラインナップで差が大きい。
北海道の洞爺湖で開かれたG8サミットでは海外のワインも提供されていた。
8年前と今とでは日本ワインそのものも、それを取り巻く状況も一変しているに違いない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/toyako08/info/lunch.html

<ワイン>
朝日町ワイン 朝日町マイスターセレクション バレルセレクション赤

ヴィラデストワイナリー ヴィラデスト ヴィニュロンズリザーブ シャルドネ2014

勝沼酒造 アルガブランカ ブリリャンテ

木下インターナショナル シャトー酒折ワイナリー 甲州ドライ2015www.kinoshita-intl.co.jp

サッポロビール GP 絢あや(赤)
サッポロビール GP 泉せん(白)

サントリー 登美ノーブルドール1990

シャトー・メルシャン アンサンブルももいろ2013www.chateaumercian.com

丸藤葡萄酒工業 ルバイヤート プティヴェルド2012www.rubaiyat.jp

マンズワイン スパークリングワイン甲州酵母の泡キューブクローズ

メルシャン シャトー・メルシャン 北信シャルドネ2014www.chateaumercian.com

メルシャン シャトー・メルシャン マリコ・ヴィンヤードオムニス2012www.chateaumercian.com

<出典>http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000159547.pdf

北信シャルドネは今年開かれた第40回国際ワインチャレンジで金賞を受賞している。
www.afpbb.com


来週の金曜からは東京・豊洲で第2回日本ワインMATSURI祭が開かれる。
今回のサミットで提供されたワイナリーも多く出店している。
これからもどんどん日本ワインの品質と地位は向上していくことだろう。
nihonwine.tokyo


japan.cnet.com

winereport.blog.fc2.com

海とヌードル

4月10日に、青春18きっぷを使って安房鴨川に行った。
きっぷが1日分余っていたこともあり、電車に揺られて、海を見た。
安房鴨川という名前は、村山由佳の『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズで知った。

ただ安房鴨川に行ければそれでよかったため、駅に着いた途端に目的は果たされた。
駅のわりに新しいトイレが、どことなく不釣り合いだった。
とりあえず海を目指すことにした。
途中で自動販売機のスペースがあって、そこで売られているカップヌードルが魅力的だった。
お腹が空いていて、ラーメンの気分だったこともある。

海には人がまばらにいて、テントを砂浜に張ったりサーフィンをしたりしていた。
そこで突然、海を見ながらシーフードヌードルを食べる案がひらめいた。
こういうお約束事にめっぽう弱い。
電池の少ないスマホで周辺の飲食店を探すことはやめて、さっきの自販機スペースに戻った。
なかに入ると、自販機から放たれた熱が「むっ」と「もわっ」の間で感じられる。
出てきたシーフードヌードルにお湯を入れて海岸の方へ歩いていく。

てきとうなところに腰をかけて、ラーメンをすする。
海を見ながらシーフードヌードルを食べる、ということがしたいだけだった。
食べ終わるころには何とも言えない気持ちになっていた。

f:id:AlldependsonMe:20160414200102j:plain

暗いわけではないにしても、空一面を雲が覆っているせいで景色が灰色がかっている。
まるで、蒸気で曇ったフライパンの蓋を、内側から見ているかのようだった。
水平線は空と海の合わせ目のように見えた。
その光景は、宇宙船の中に作られた人工の海の姿を思わせた。
ぴったりと閉じられていて、外へは出られない。
安房鴨川の外には出られないような錯覚が一瞬だけよぎった。

ここに住むことはできないと思ってしまった。
どうしてか落ち着かない気分にさせられた。
その街並みに、変われなさを感じ取ってしまった。

一日を経るごとに「新しくなりたい」と思う。
海を見て、晴れやかな気持ちになることも開放感を覚えることもなかった。
晴れた日の海なら、いつものようにあの向こう側へ行きたいと思っただろうか。
名物の海産物を食べることもせずに、駅の向こうにあるイオンの4階でコーヒーを飲んで安房鴨川を後にした。

今度来るときには、よく晴れた日を選んで、鴨川シーワールドにも足を伸ばし、店では新鮮な魚介に舌鼓を打ちたい。

寄せては返す、家族という存在


家族の話は、心をざわつかせる。波風を立てる、とはよく表現したもので、波風がごうごうと防風林を揺らしてくる。
どんより暗雲が立ち込めて、灰色の波が飛沫をあげ、風が辺りをさらっていく。
特別なことはなくとも、個別にある家族への思いと思い出が、めくりめく移ろう。
からっと晴れやかな空のもと、ここちよく足もとを行き来していた波が、ある日突然、足を掴んで遠くへ連れていこうとする。
知らない人たちのような顔をして、もっとも近しいと思っていた人たちが、そこにいる。
近くにいたということと、近しいということは、べつに等しくないのだと気づいてしまう。

悪い人たちだったわけではない。ただ、彼らなりの人生があって、間違いなく十数年のあいだ子どもたちは、その一部だった。
ひと一人の人生に、もう一人入ってしまった歪さは、その一人の成長につれて内から割れんばかりの罅(ひび)になる。
子離れにしろ、親離れにしろ、永く続くものと思っていた“ホーム”を、不安定にする。
どうしてもできてしまう空洞を、埋めようとして、引き留めたり留まったりする。
実のところ、その空洞は、ひと一人が育った証だ。
その空洞にはかつて、自分ならざるものがいて、それは自分ならざるものに育てられた。

巣立っていった人たちは、あらたに自分が生きるための“ホーム”を、揺れる世界に築きあげる。
幾人かは、電車の席を空けるように身をよけて、“ホーム”に人を住まわせる。
ある人は波に流されないように錨を下ろし、ある人は波に乗って筏を走らせる。
たまさか響いた潮の香りに、鼻の奥がツンとして、心がざわめく。

「あなたの子どもは あなたの子どもではない」
倫敦橋の隠れ里 カーリル・ギブラン詩集より

www.youtube.com


幸運を呼ぶものを買おうとしていた親に向かって子どもが言ったことは、
子どもを育てあげた事実を前にすれば、不確かなものに縋らずとも、確かに幸運であろうということ。
他の誰でもなく、あなた自身が、幸せを成し遂げたのだ。今さら、他を頼るまでもない。

政策・情報 学生交流会はエンターテインメントじゃない

第42回 政策・情報 学生交流会 | 全国から約100人が集う! 第42回 政策・情報 学生交流会の公式HP
ここはディズニーランドのように、来ることが目的の場所じゃないんだ。
一時的に滞在して、次の目的地へと旅立っていくためのハブ空港なんだ。
常に問うべきは、交流会に参加することが自分にとって何のためになるのか。
すでに参加したことのある身なら、自分が参加することで他の人に何を与えられるのか。

政策・情報 学生交流会はもともと、総合政策系の学部が初めて出来た頃に、総合政策とは何かを問うなかで生まれた。
政策は、英語のpolicyが示すように、目的を達成するための手段のことである。それが政府レベルでは政策を表し、個人レベルでは方針を示す。
ejje.weblio.jp
目的が定まっていない政策の議論は不毛である。何のためにということへの合意なしに、何をどのようにするか論じても決着はつかない。
不毛な議論を避けるために、目的・対象・方法を詳らかにする情報は欠かせない。

政策・情報 学生交流会は、政府・社会・個人のどのレベルであっても、何のために何をどのようにするかについて、学生自身が明らかにするために交流する場である。
ただ親睦を深めたり、交友の幅を広げたりする場ではない。大学の新歓期に開かれるイベントとはまるで異なる。
人と知り合うこと、人の話をすることは、自分の知らない知見を得るうえで必要なことではある。
大事なのは、それらを得て活かすこと。「楽しかった」の一言で、知識や経験を私蔵してしまってはもったいない。

政策・情報 学生交流会で、あるいは他の企画で、他の話を聞いて気づきが得られたように、自分が話をすることで、他の人に気づきをもたらすことができる。
この企画では3泊4日の最終日にアウトプットをする時間がある。アウトプットは、何のために何をどのようにするか伝える場である。
発表をして、質疑やフィードバックをもらい、伝えたかったことが伝わったかを確かめる。
自分の考えたことが、自分で設定した目的に適っているか(矛盾はないか)確認する作業は、政策・情報 学生交流会が終わってからも大切なことである。

これから政策・情報 学生交流会に参加する人に意識してもらいたいことは、決して消費者にならないということ。
政策・情報 学生交流会を企画するスタッフや、分科会を企画するチューターに、もてなしを期待するようではいけない。
スタッフやチューターも、参加者をお客様扱いしてはならない。
ejje.weblio.jp
政策・情報 学生交流会はエンターテインメントじゃない。
全ての人が、新たな知識や経験を得たり与えたりする位置を占める(take part in)参加者であれ。

youtu.be
「僕が思う世界へ まず僕が歩き出すんだ」

alldependsonme.hatenablog.com
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alldependsonme.hatenablog.com
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この一年の間に入手・読了した本

2015年
3月11日

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3月17日

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3月25日

読了

4月1日

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4月2日

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本書は方法論について量的・質的ともに丹念に解説しており、また参考文献も豊富なため読後の学習にもつなげやすい。 何をやるかは個々人の関心に基づいて決められればいいけれど、それをいかにやるかは共通の方法に基づいていなければ他者から見てその人が何をやっているか分かりにくい。趣味であるなら自分ひとりが分かればいいかもしれないが、研究であるからには他の人にも伝わるものでなければならない。

4月3日

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4月6日

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4月7日

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4月8日

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4月12日

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4月17日

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4月21日

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4月22日

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4月23日

いやあ、凄いな、凄いよアメリカの企業は。ここまで突き抜けるとあっぱれと言いたくなってしまうほど。全部が全部、ビジネスだもんな。すべてはお金、お金がすべて。 本屋を経営するゲームなのに、放火をすれば保険金が下りてしかもそれが一番儲かるという話を聞いたことがあるけれど、アメリカ企業はまさにそれだ。何がそれほどまでに利益追求に駆り立てるのだろう。お金以外に自分を守ってくれるものがないからなのか。

4月26日

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4月28日

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5月2日

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5月13日

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5月17日

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5月18日

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5月19日

5月22日

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5月23日

山梨ワインツアーの道中で。第三章「おいしさとは何か?」が特に興味深かった。おいしいと感じることと生存を結びつけて考えることは確かに筋が通る。それに加えて情報、あるいは記憶という要素が加わるとなぜワインを好きになり、それを求めるようになるかが分かる気がする。

5月25日

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6月3日

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6月6日

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6月14日

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6月15日

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7月4日

7月12日

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7月13日

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7月14日

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7月17日

現行の憲法下で集団的自衛権を行使すること、あるいは行使できると認めることが何故違憲に当たるのか端的に書かれていて得心がいった。いま焦点となっている新安保法制の前に改憲手続きを試みるならまだしも、これまでの議論を無視して一代の恣意的解釈で押し通すとするのは悪手としか言いようがない。

7月18日

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7月26日

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9月26日

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9月27日

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10月6日

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10月9日

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10月19日

「われわれに思想さえあれば、われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却してしまわねばならぬ。先生になる人は学問ができるよりも――学問もなくてはなりませぬけれども――学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならない」

10月22日

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10月27日

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10月29日

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11月5日

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11月6日


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11月7日

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11月8日

1998年にWHOが健康の新しい定義に「spirituality」と「dynamic」を盛り込むことを検討した背景と意図(特に前者の)にたびたび触れられてあり、参考になる。スピリチュアリティとは何の謂いか、また既存の学問とどう関連するのかについて様々な論者が述べてある。

11月16日

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11月19日

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11月21日

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11月23日


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11月25日

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12月2日

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12月6日

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12月7日

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12月8日

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シングルマザーは、親であることを辞めようとはしない、子どもを棄てるようなことはしない。それは依存関係だと断じてしまえるかもしれない。他方、貧困に陥る母子家庭の殆どにおいて、父と呼べるような人は簡単に親であることを投げ出している。所詮、正直者が馬鹿を見るということなのか?シングルマザーは自己責任だと切り捨てられる風潮は現にある。だけど、痴漢の被害者バッシングのように目に見える被害者だけを非難して、それがいったい何になるって言うんだ。

12月9日

12月11日

改めて、湯浅誠の物の言い方や書き方が好きだと思う。発せられた言葉も書かれた言葉も力みがなく、淡々としており、平易な言葉遣いで核心を突いてくる。「主権者は、降りられない」という一文に、ハッとさせられた。「民主主義がめんどくさい」と言って、おれ辞めるわとイチ抜けできるものではないのだ。自分の人生を、誰かに決められるのではなくて自分で決めたいのなら、それが実現できるようにめんどくさいながらも他者と協力するとか自分の考えを伝えるとかしていかないといけない。めんどくさい分、それが実を結んだ達成感もひとしおだ。

12月12日

まえがきにあるように、日本とデンマークは「互いへの無理解」によって、先入観に基づいた“いいイメージ”を互いに持っている。私も本書を読むまで“夢”を見ていた。デンマークでも新自由主義の影響は進んでおり、政府の負うべき責任は地方自治体や市場に移されるようになってきている。それまで福祉の最終責任であった政府が役割を果たさなくなってきたため、最終責任が徐々に個人に、つまり自己責任になっている…。
本書が書かれたのはもはや5年前で、デンマークの状況はまた違っているだろう。最新の情報を得たい。語学やらなきゃ。

12月17日

駒崎さんは言葉の使い方、文の作り方がうまいなと思う。あっという間に読んでしまった。社会的企業事業はそれを利用する人のみならず、利用者とつながりのある人にも福利を提供する。病気になった子どもを預けられたら、子持ちで働く人は安心ができる。雇う方からすれば従業員の欠勤リスクが下がる。病児保育のサービスがあれば、いずれ子育てを考えている働く人たちの心配も少なくなる。さらに駒崎さんは、そもそも子どもが病気になっても休めない会社のあり方を改善する行動も起こしている。本のタイトルそのままの人だ。

12月18日

社会科学系の学生なら一度は耳にし、多くの人が興味を持ったであろうソーシャル・キャピタル。様々な論者が定義しているなか、一番得心のいったのがナン・リンの定義(社会的ネットワークを通じて到達できる資源)だ。孤立している人は社会的ネットワークのつながりに乏しく、それがあれば到達できたであろう資源を得られていない。本書で紹介されている種々の研究結果がそのことを如実に示している。つまり孤立は、個人的に感じる孤独とは違って、英語の isolation が示すように、周りから切り離された、あるいは断絶した状態のことだ。

12月20日

「貧困」問題は本質的に人の生き方と切り離せない。それを扱う論者は、自助・共助・公助のうちどれを強調するのか、家族と社会のどちらに重きを置くか、政府はどこまで介入すべきかなどに言及せざるを得ない。それは個々の人生観や世界観を反映し、ともするとイデオロギー論争となってしまう。そのとき、監修者の西村氏の言葉が重く響く。「事実の裏づけを持たない『正義』は極めて危うく、社会に大きな犠牲を求める」まず事実を認めよ――根拠のある政策を提言するために、そう言われているようであり、身の引き締まる思いがした。

12月24日

「反福祉論」という題名だが、「反福祉制度論」といった方が間違いない。本書は、困窮者がいるときすぐに制度の枠内で支援を考えてしまうことに釘を指している。それは制度に困窮者を当てはめようとすることである。また、制度に当てはまらない支援はできないということになる。しかし、制度に当てはまらなくとも人は生きていなければならない。現に制度に頼らずとも自分たちで生きている人たちがいる。自力で福祉well-beingを実現しようとしている。最後の章で反福祉制度“論”が展開されるものの生硬な印象を受けた。発展に期待したい。

12月25日

デンマークでどれほど「デモクラシー」が重要視され、それが何故なのかについて知ることができる本。まちづくりにデモクラシーが息づいている。日本でも「まちづくり」は盛んだ。「まちづくり」とは何かを考える上でも参考になる。

12月29日

今年の9月にデンマークを訪れて何より感じたことは彼我の違いだった。デンマークと日本は根底から違う――もしデンマークの「福祉」を取り入れようと思ったらまず、デンマークであれだけの「高福祉」が実現された過程を学ばなければならない。長い歴史の積み重ねの上に築かれた「福祉」をそれ抜きで移植しても日本に根づくはずがない。この本を読んで、日本の歴史も追わねばならないと強く思った。ただデンマークのことを吸収しても何にもならない。

12月30日

心理学は自分たちの由来を知るのに便利だなあと思う。どこを経由して現在に到ったか。それは決められたレールというより、先人たちが歩んできた道なき道。心理学の結果を逆手にとって、望む方へと進路を変えることができる。
これまでの日本のやり方(内集団ひいき)がそれ自体でいいとか悪いという話はさておき、少なくとも現状に合っていないことは明らかだろう。従来のやり方で行き詰まると分かっているなら、私たちが実現したい社会を考えて、その方へ舵を取ろう。新しいものをともに創りあげるのに他者との協働、信頼は欠かせない。

2016年1月8日

就職して区役所の福祉課に配属され、生活保護行政の担当になった人たちの物語。自分が正しいと信じていて、自分と違う相手は間違っていると信じられる無邪気さがどれだけ残酷かが分かる。悪意でなかろうと、善意であろうと望まない結果は招かれる。招いた覚えはなくとも、その一端に自分は噛んでいる。他人(ひと)の人生に踏み込んで関わることになったら避けられない。踏み込んだ一歩が踏みにじることにもなる。それを身にしみて分かっているかどうかで人との関わり方は劇的に変わる。

正しくありたいなら、自分の正しさに相手を合わせるのではなく、正しいと思っていることに自分が合っているかどうか確かめること。なるほど“正義の味方”は正義そのものではない。自分が何に味していて何に敵対しているか分かっていなければ、違う正義をもって自分を敵だと言う相手に申し開きができない。相手の現在がどれほど納得できないものでも、一つは納得できる過去があるかもしれない。相手が間違っていると言うなら相手に則した上で言わなれば、それは自分と違うと言っているにすぎない。

1月11日

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1月13日

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1月14日

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1月18日

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1月22日

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1月26日

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1月27日

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2月1日

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ホームレスは住む場所を奪われている以上に生きる拠り所を奪われている。「ホームレスは怠け者。働け。選ばなければ仕事はある」と言う人がいる。はたして、そうだろうか。住所不定、携帯電話なしで求職してもまず採用されない。身一つで雇ってもらえるところは殴る蹴る罵詈雑言、給料のピンハネ・踏み倒しは当たり前。仕事というのは、その給料で生活できるものじゃないのか。それでも自分は働いている!と言う人は早急に助けを求めた方がいい。その職場はまともじゃない。

2月4日

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2月8日

一文一文を読むごとに、やるせない怒りがふつふつと沸き立ってくる。とてもじゃないが一度に読み通すことはできない。制度の失敗に運用の失敗が拍車をかけている。「中途半端な対策を続けて野宿を強い続けることによって、悪徳業者による生活保護のピンハネ、消費者金融による多重債務、病院による過剰な検査や転院などが多発する」(p.179)という事態。今日もどこかで必ず起きている。それに、この本が書かれたのはリーマンショック前だ。新しく出た文庫版で、それへの言及が書かれているとのことなので、買って目を通したい。

2月9日

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2月10日

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読了