『ワインの真実』

JN「映画が封切られた今となっては、彼の反応にも変化があったし、彼に忠実なやつらも僕には態度を変えたから、本当に根っから不誠実な人なんだって、心底から思う。彼は、自分のまわりにいるみんなに、不誠実になれって勧めているんだ。ジョージ・ブッシュと同じで、何かを心の底から信じていて、それで不誠実で平気でいられるタイプの人間だよ。自分が正しいと思い込んでいて、それが悪意のようになっちゃっているんだ。彼らにとっては、「他者」は非現実的なものなんだ。だからこそ、パーカーはテロワールという考え方を拒否している。どこまでいっても「他者」だからなんだ。彼には、「味方」か「敵」しかない。だから本当の「他者」は、存在できないんだ。だからこそ、彼は危険なんだよ。」*1

 

今日、私たちの目の前で行われていることは、過去と私たちの結びつきを世界規模で徹底的に破壊していく行為である。何故なら過去との関係を根こそぎにすることは、人を簡単に騙せる環境を創り出すことだからである。そして、マーケティングの大物たちと独裁者たちの夢が叶えられる環境が整えられる。このような状態で、人々の自由を守るために必要な最良の武器は、過去の記憶を共有することである。

 しかし右派と左派という伝統的なイデオロギーの差異が失われ(トニー・ブレア首相のイギリス労働党を政権の誕生が、それを確認する出来事だ)、右派だけでなく、左派も中道もすべて、過去をいっさい抹殺していくという血みどろのスポーツに没頭している。……過去が意味をなくしてしまっている環境では、何を発言し、何をしようが、翌日になれば重要性などなくなるのだ。

 右派であれ、左派であれ、あるいは中道であれ、権力に飢えている者たちにとって、テロワールが脅威となるのはこのためである。テロワールを尊ぶには、過去に対して道徳的な責任の感覚を持つ必要がある(また過去に意味を持たせるためには、常に時間的な推移の中で再評価していかなくてはならない)。文化、社会全体の保護、市民としての責任、公正な雇用、報道の透明性、そうしたものすべては、私たちが歴史の感覚を失った時、つまり私たちはみんなで共同体を構成しているのだという感覚を失った時、崩れ去ってしまう。*2

 

 それでは、「本物」とは何であろうか。「本物」であろうとすることは、なぜ大切なことなのだろうか。私たちが生きている世界は、私たちのイメージから身体まで、気分や精神も、すべて何でも瞬時に人為的に改変できる、そういう世界である。それなのに、なぜ私たちは、相対主義に陥って「本物」などというものは存在しないとうそぶき、すべてのものが有益かつ真実であると主張しないのだろうか。

 「本物が何なのかを決めるのは、自分だよ」という人たちもいる。しかし、そういう人たちに私は、「本物」とか「自然」という概念は、個人の尊厳という神聖不可侵な原則に結びついている、と答えよう。私たちはみんな、他者と異なる権利を持っているだけではなく、その権利に付随して義務も負っている。「本物」を拒絶することには、結果として一つの危険がともなってくる。それは、個人のアイデンティティでも、意見でも製品でも創造行為でも、極端な独我論的なものになってしまう可能性である。それは、何千年にもわたって私たちが共有してきた文明を拒否することになりかねない。*3

 

 

ワインの真実――本当に美味しいワインとは?

ワインの真実――本当に美味しいワインとは?

 

 

 

*1:ジョナサン・ノシター(加藤雅郁訳)『ワインの真実』作品社、2014年、165頁 

*2:ジョナサン・ノシター(加藤雅郁訳)『ワインの真実』作品社、2014年、408-409頁

*3:ジョナサン・ノシター(加藤雅郁訳)『ワインの真実』作品社、2014年、410頁