ひとつの世界観が終わりを告げる
ここ最近の世の中の動きを見ていて、ふと「ああ、ひとつの世界観が終わるを告げるんだな」と悟った。おおざっぱに言って、1945年以来この日本でほとんど誰しもが抱いていた世界観が、この先通じなくなっていく。「ひとの人生を犠牲にしても省みない」世界観が常識どころか異端になっていく。
1945年以来と区切るのは、太平洋戦争後に生きてきた人たちを念頭に置いているからだ。日本の復興のために、あるいは自身や家族が生き残れるために、身を粉にして働いてきた人たち。そういった人たちに育てられた子どもたち。生きるために、ひとの人生を丸ごと犠牲にせざるをえなかった時代。
ひとはおそらく、生きていくために他の命をいただくように、他のひとの人生を大なり小なり貰う必要がある。昔であれば一人の人生を40年か50年貰って、ようやっと自分も生きられた。多くの男は勤め人として、多くの女は母として、己の身を捧げ、人生を犠牲にしてきた。かつてなら、今の我慢が報われると信じられたし、周りには同じような人たちがいたから、独りではないと思えた。
バブルが弾けてから、潮流が変わった。犠牲の対価を得がたくなり、徒労としか思えない場合が目につくようになった。いわゆるパイの拡大を期待できなくなった。太平洋戦争からちょうど半世紀近く経つころ、ある幸いと不幸が重なって生じた。幸いにも、先人たちの多大な犠牲の上に、少なくとも物質的に豊かと言える時代が来た。だが不幸にも、その時代から生きていく人たちには、わが身の犠牲に適う対価を期待できなくなった。
生まれてきてからずっと、失われた20年あるいは30年と言われる状況下にある人たちと、それ以前を知っている人たちとの間には大きな溝がある。人生を犠牲にしてもきっと得られる対価があると思えるか否か。その対価は例えば正社員であるとか家族であっただろう。一度きりの人生を犠牲にしてまで得られるものがあまりに少ないか、そもそもありそうにないと考えた人たちは、人生を犠牲にしないで生きられる途を探し始めた。一人の人生を潰さずに、要所要所で他のひとから助けを借りたり、誰かに力を貸したりしながら生きられるように。
そも、ひとの人生の大部分を貰わないと生きていくことが難しいというのは、ヒューマンリソースが生命線になるということだ。将来の働き手や世話係として子どもをたくさん産み育てるのはその一例だ。ヒューマンリソースに依存しない代替の仕組みができていくと、仕組みの管理に手間と時間を費やすようになると同時に、子どもを数多く生み育てなくてもよくなる。
もう30年以上前から日本で起きているのは、生まれる人たちが減っているのに、未だにヒューマンリソースに大きく依存している事態。「ひとの人生を犠牲にしても省みない」世界観がずっと常識だったから、人生を犠牲にしないのは我が儘だとか非常識だと非難されてきた。「今の若者は甘えている」とはいつの時代もある繰り言のようだが、改善や改良を続ける限り後代は先代がしてきたことを必ずしもしなくて済むようになる。「甘えている」ように見えるのが実は自分たちのしてきた喜ばしい結果だということを、往々にして先代の人たちは気づくことができない。自分がしてきた苦労で見知った者を楽にできるならいいが、知らない者まで楽するのは業腹だという感情がそこにはある。
ところがここにきて、自分がした苦労を他のひとにしてもらいたくないと、ヒューマンリソースに依存しない仕組みを作ろうとする人たちが目立つ活動をしている。その流れをIT技術が後押ししている。そういった技術的側面もあるが、「ひとの人生を犠牲にする」ことへの嫌悪感や疑問がますます噴出しているように見える。ブラック企業への非難にしても、セクシュアルハラスメントへの抗議にしても、ひとの人生を踏み台にするなという怒りがある。
おそらくいまようやく、人生を全うするということが日本でも正面きって主張され、受容されるようになってきている。我が儘だとか非常識などと言われてきたことが、単に一個人の性格や選択の問題ではなくなっていく。連日のニュースを見ていると、どうしても世の中に心の底から失望し落胆し嘆息したくなってしまう。それでもこの世界で生きていくしかないが、何かが変わったという確信が私のなかに芽生えている。