この一年の間に入手・読了した本

2015年
3月11日

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3月17日

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3月25日

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4月1日

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4月2日

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本書は方法論について量的・質的ともに丹念に解説しており、また参考文献も豊富なため読後の学習にもつなげやすい。 何をやるかは個々人の関心に基づいて決められればいいけれど、それをいかにやるかは共通の方法に基づいていなければ他者から見てその人が何をやっているか分かりにくい。趣味であるなら自分ひとりが分かればいいかもしれないが、研究であるからには他の人にも伝わるものでなければならない。

4月3日

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4月6日

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4月23日

いやあ、凄いな、凄いよアメリカの企業は。ここまで突き抜けるとあっぱれと言いたくなってしまうほど。全部が全部、ビジネスだもんな。すべてはお金、お金がすべて。 本屋を経営するゲームなのに、放火をすれば保険金が下りてしかもそれが一番儲かるという話を聞いたことがあるけれど、アメリカ企業はまさにそれだ。何がそれほどまでに利益追求に駆り立てるのだろう。お金以外に自分を守ってくれるものがないからなのか。

4月26日

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5月23日

山梨ワインツアーの道中で。第三章「おいしさとは何か?」が特に興味深かった。おいしいと感じることと生存を結びつけて考えることは確かに筋が通る。それに加えて情報、あるいは記憶という要素が加わるとなぜワインを好きになり、それを求めるようになるかが分かる気がする。

5月25日

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6月3日

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7月4日

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7月17日

現行の憲法下で集団的自衛権を行使すること、あるいは行使できると認めることが何故違憲に当たるのか端的に書かれていて得心がいった。いま焦点となっている新安保法制の前に改憲手続きを試みるならまだしも、これまでの議論を無視して一代の恣意的解釈で押し通すとするのは悪手としか言いようがない。

7月18日

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10月6日

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10月19日

「われわれに思想さえあれば、われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却してしまわねばならぬ。先生になる人は学問ができるよりも――学問もなくてはなりませぬけれども――学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならない」

10月22日

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10月27日

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11月7日

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11月8日

1998年にWHOが健康の新しい定義に「spirituality」と「dynamic」を盛り込むことを検討した背景と意図(特に前者の)にたびたび触れられてあり、参考になる。スピリチュアリティとは何の謂いか、また既存の学問とどう関連するのかについて様々な論者が述べてある。

11月16日

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12月8日

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シングルマザーは、親であることを辞めようとはしない、子どもを棄てるようなことはしない。それは依存関係だと断じてしまえるかもしれない。他方、貧困に陥る母子家庭の殆どにおいて、父と呼べるような人は簡単に親であることを投げ出している。所詮、正直者が馬鹿を見るということなのか?シングルマザーは自己責任だと切り捨てられる風潮は現にある。だけど、痴漢の被害者バッシングのように目に見える被害者だけを非難して、それがいったい何になるって言うんだ。

12月9日

12月11日

改めて、湯浅誠の物の言い方や書き方が好きだと思う。発せられた言葉も書かれた言葉も力みがなく、淡々としており、平易な言葉遣いで核心を突いてくる。「主権者は、降りられない」という一文に、ハッとさせられた。「民主主義がめんどくさい」と言って、おれ辞めるわとイチ抜けできるものではないのだ。自分の人生を、誰かに決められるのではなくて自分で決めたいのなら、それが実現できるようにめんどくさいながらも他者と協力するとか自分の考えを伝えるとかしていかないといけない。めんどくさい分、それが実を結んだ達成感もひとしおだ。

12月12日

まえがきにあるように、日本とデンマークは「互いへの無理解」によって、先入観に基づいた“いいイメージ”を互いに持っている。私も本書を読むまで“夢”を見ていた。デンマークでも新自由主義の影響は進んでおり、政府の負うべき責任は地方自治体や市場に移されるようになってきている。それまで福祉の最終責任であった政府が役割を果たさなくなってきたため、最終責任が徐々に個人に、つまり自己責任になっている…。
本書が書かれたのはもはや5年前で、デンマークの状況はまた違っているだろう。最新の情報を得たい。語学やらなきゃ。

12月17日

駒崎さんは言葉の使い方、文の作り方がうまいなと思う。あっという間に読んでしまった。社会的企業事業はそれを利用する人のみならず、利用者とつながりのある人にも福利を提供する。病気になった子どもを預けられたら、子持ちで働く人は安心ができる。雇う方からすれば従業員の欠勤リスクが下がる。病児保育のサービスがあれば、いずれ子育てを考えている働く人たちの心配も少なくなる。さらに駒崎さんは、そもそも子どもが病気になっても休めない会社のあり方を改善する行動も起こしている。本のタイトルそのままの人だ。

12月18日

社会科学系の学生なら一度は耳にし、多くの人が興味を持ったであろうソーシャル・キャピタル。様々な論者が定義しているなか、一番得心のいったのがナン・リンの定義(社会的ネットワークを通じて到達できる資源)だ。孤立している人は社会的ネットワークのつながりに乏しく、それがあれば到達できたであろう資源を得られていない。本書で紹介されている種々の研究結果がそのことを如実に示している。つまり孤立は、個人的に感じる孤独とは違って、英語の isolation が示すように、周りから切り離された、あるいは断絶した状態のことだ。

12月20日

「貧困」問題は本質的に人の生き方と切り離せない。それを扱う論者は、自助・共助・公助のうちどれを強調するのか、家族と社会のどちらに重きを置くか、政府はどこまで介入すべきかなどに言及せざるを得ない。それは個々の人生観や世界観を反映し、ともするとイデオロギー論争となってしまう。そのとき、監修者の西村氏の言葉が重く響く。「事実の裏づけを持たない『正義』は極めて危うく、社会に大きな犠牲を求める」まず事実を認めよ――根拠のある政策を提言するために、そう言われているようであり、身の引き締まる思いがした。

12月24日

「反福祉論」という題名だが、「反福祉制度論」といった方が間違いない。本書は、困窮者がいるときすぐに制度の枠内で支援を考えてしまうことに釘を指している。それは制度に困窮者を当てはめようとすることである。また、制度に当てはまらない支援はできないということになる。しかし、制度に当てはまらなくとも人は生きていなければならない。現に制度に頼らずとも自分たちで生きている人たちがいる。自力で福祉well-beingを実現しようとしている。最後の章で反福祉制度“論”が展開されるものの生硬な印象を受けた。発展に期待したい。

12月25日

デンマークでどれほど「デモクラシー」が重要視され、それが何故なのかについて知ることができる本。まちづくりにデモクラシーが息づいている。日本でも「まちづくり」は盛んだ。「まちづくり」とは何かを考える上でも参考になる。

12月29日

今年の9月にデンマークを訪れて何より感じたことは彼我の違いだった。デンマークと日本は根底から違う――もしデンマークの「福祉」を取り入れようと思ったらまず、デンマークであれだけの「高福祉」が実現された過程を学ばなければならない。長い歴史の積み重ねの上に築かれた「福祉」をそれ抜きで移植しても日本に根づくはずがない。この本を読んで、日本の歴史も追わねばならないと強く思った。ただデンマークのことを吸収しても何にもならない。

12月30日

心理学は自分たちの由来を知るのに便利だなあと思う。どこを経由して現在に到ったか。それは決められたレールというより、先人たちが歩んできた道なき道。心理学の結果を逆手にとって、望む方へと進路を変えることができる。
これまでの日本のやり方(内集団ひいき)がそれ自体でいいとか悪いという話はさておき、少なくとも現状に合っていないことは明らかだろう。従来のやり方で行き詰まると分かっているなら、私たちが実現したい社会を考えて、その方へ舵を取ろう。新しいものをともに創りあげるのに他者との協働、信頼は欠かせない。

2016年1月8日

就職して区役所の福祉課に配属され、生活保護行政の担当になった人たちの物語。自分が正しいと信じていて、自分と違う相手は間違っていると信じられる無邪気さがどれだけ残酷かが分かる。悪意でなかろうと、善意であろうと望まない結果は招かれる。招いた覚えはなくとも、その一端に自分は噛んでいる。他人(ひと)の人生に踏み込んで関わることになったら避けられない。踏み込んだ一歩が踏みにじることにもなる。それを身にしみて分かっているかどうかで人との関わり方は劇的に変わる。

正しくありたいなら、自分の正しさに相手を合わせるのではなく、正しいと思っていることに自分が合っているかどうか確かめること。なるほど“正義の味方”は正義そのものではない。自分が何に味していて何に敵対しているか分かっていなければ、違う正義をもって自分を敵だと言う相手に申し開きができない。相手の現在がどれほど納得できないものでも、一つは納得できる過去があるかもしれない。相手が間違っていると言うなら相手に則した上で言わなれば、それは自分と違うと言っているにすぎない。

1月11日

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1月13日

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2月1日

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ホームレスは住む場所を奪われている以上に生きる拠り所を奪われている。「ホームレスは怠け者。働け。選ばなければ仕事はある」と言う人がいる。はたして、そうだろうか。住所不定、携帯電話なしで求職してもまず採用されない。身一つで雇ってもらえるところは殴る蹴る罵詈雑言、給料のピンハネ・踏み倒しは当たり前。仕事というのは、その給料で生活できるものじゃないのか。それでも自分は働いている!と言う人は早急に助けを求めた方がいい。その職場はまともじゃない。

2月4日

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2月8日

一文一文を読むごとに、やるせない怒りがふつふつと沸き立ってくる。とてもじゃないが一度に読み通すことはできない。制度の失敗に運用の失敗が拍車をかけている。「中途半端な対策を続けて野宿を強い続けることによって、悪徳業者による生活保護のピンハネ、消費者金融による多重債務、病院による過剰な検査や転院などが多発する」(p.179)という事態。今日もどこかで必ず起きている。それに、この本が書かれたのはリーマンショック前だ。新しく出た文庫版で、それへの言及が書かれているとのことなので、買って目を通したい。

2月9日

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2月10日

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資料庫〈ホームレス〉

ci.nii.ac.jp

nc.chukyo-u.ac.jp


2000、釜ヶ崎

訴訟の闘いを引き継いで
 94年5月9日、名古屋市を相手取って、生活保護決定処分取り消しの訴訟を起こした、釜ヶ崎と同じ寄せ場である笹島の日雇労働者、林勝義さんが、闘病のかいもなく、99年10月22日に亡くなられました。享年61歳でした。

H14. 3.22 大阪地裁 平成 10(行ウ)72 生活保護開始決定取消等請求事件
佐藤訴訟・大阪高裁判決(平 15.10.23)

oohara.mt.tama.hosei.ac.jp

http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/992.pdf

ホームレスに対する生活保護の適用について

日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の尊厳に値する生存を実現することを求める決議

http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/26/h260319.html

生活保護の実施状況について」
国会及び内閣への随時報告(26年3月19日) | 検査結果(平成26年分) | 検査結果 | 検査関係 | 公表資料 | 会計検査院 Board of Audit of Japan

NPO法人北九州ホームレス支援機構の紹介と「ケア」の必要性について

野宿者襲撃年表
<ホームレス焼死>2少年を殺人容疑で逮捕へ 兵庫・姫路/毎日新聞 white
<爆発事件>東京・新宿中央公園で、男性1人重体に

学校で野宿問題の授業を

「重大少年事件の実証的研究」からの知見

nationalhomeless.org

野宿生活者と市民との「共生論」について

kamapat.seesaa.net

スープの会 表紙

釜ヶ崎支援機構 事業概要

diamond.jp

www.jimmin.com

homeless.social-welfare.org

資料庫〈社会福祉〉

【関連リンク】
特定非営利活動法人 日本地域福祉研究所

生活保護・福祉一般分野のトピックス |厚生労働省

www.mhlw.go.jp

www.sssc.or.jp

【報告書・提言】
平成24年度 セーフティネット支援対策等事業補助金社会福祉推進事業分)
コミュニティソーシャルワーカー(地域福祉コーディネーター)調査研究事業 報告書
https://www.nri.com/jp/opinion/r_report/pdf/201304_safetynet2.pdf

地域福祉コーディネーターに関する調査研究委員会報告書の概要

日本学術会議 社会学委員会社会福祉学分科会
近未来の社会福祉教育のあり方について―ソーシャルワーク専門職資格の再編成に向けて―
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-t59-1.pdf

資料庫〈政治参加・政治教育〉

【国内】
www.akaruisenkyo.or.jp

www.nhk.or.jp

www.city.shinshiro.lg.jp

下條村で模擬議会 中学生が村づくり提言 « ミナミシンシュウ.jp

【国外】
news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

[安岡美佳]【何故、デンマークの若者は投票に行くのか?】~30才以下の投票率6割超の秘密~ | NEXT MEDIA "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

2015年の本ベスト10冊(感想付)

気づけば年の瀬。一年を振り返る頃合いとなってきた。
数えてみれば今年は85冊の本(漫画含む)を読んでいるようだ。
去年は131冊(同)読んでいるから今年は前年比64%といったところ。
さて今年読んだ本のなかで10冊選ぶなら以下の本。

1月23日読了 池内恵イスラーム国の衝撃』

イスラーム国の一番の特徴はその巧みさあると思われる。今回の日本人殺害予告においても、もっとも注目が集まるタイミングを見計らって、しかも大義があるかのごとく、ふるまってみせる。ただ、実のところそれらは戦術の一貫に過ぎず、どこまでもパフォーマンスであると見なせる。イスラーム国は過激派武装組織だが、その行動は綿密な計算に基づいて行われている。イスラム教義を都合よく引いて利用するため、真っ向から反対することは宗教内外の対立に直結するようになっている。たんに力で潰しても新たなイスラーム国を喚ぶ余地がふんだんにある。」

1月27日読了 尾形真理子『試着室で思い出したら本気の恋だと思う』

「私はこのところずっと何もかも区切りがついたら新しい服と靴を買いたいと思っている。いまは選びに行っている時間などない。手持ちの服はもう着慣れてしまって、特別なときに来ていく服はすっかり、特別なときに着るいつもの服になっている。終わりが来たら、始まりのための服と靴を買う。私は新しい自分になりたい。これまで以上に、そしてこれまで以上の私に。引きうけた結果を胸に抱いて、背筋を伸ばして前を見すえたい。この本を読んで、なおさらそう思う。いいお店にも巡りあいたい。」

3月25日読了(9月2日再読) ハンナ・アレント『人間の条件』

「ドイツ滞在中に原語版を読もうとしたものの、最初歩のドイツ語学力では当然読めなかった。その代わり日本語訳はもう一度読み直した。森一郎訳の『活動的生』も買って読みたいところ。」

4月9日読了 伊藤まさこ『ちびちびごくごくお酒のはなし』

「酒好きなら思わず頷いてしまう小話と、思わず作ってしまいたくなるツマミの作り方がひとつになった本。特にキノコのアヒージョは簡単に作ることができて、常備菜として使い勝手がいい。味噌のネギ焼きも乙だ。」

5月21日読了 森絵都『永遠の出口』

「最近小説が読みたくて、お勧めしてもらった本。森絵都の文章にはどこかこう、胸のあたりを爪でかりかりとするような感じがあって、何かを思い返させたり物思いにふけさせたりする。『カラフル』もそうだった。
本の内容は一人の女の子の1年ごとの話、それが9年分。小学三年から高校三年まで。小さいころのふとした記憶や感覚がよみがえって、1年分読むごとに自分の昔と重ね合わせた。この1冊で、自分の紡いだ9年間の物語も同時に繙かれた感がある。」

9月27日読了 二宮元『福祉国家新自由主義 イギリス現代国家の構造とその再編』

学術書となると読みづらい印象が強いけれど、この本は非常に構成がしっかりしていて、途中でつっかえることなく読み進められた。これを読めば戦後のイギリス政治の流れが頭に入る。」

11月7日読了 ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄〈上巻〉』

「こういう本をいつか自分も書いてみたいと思う。壮大でありながら地に足がついた研究書で、読んで虜になる。」

12月11日読了 湯浅誠 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』

「改めて、湯浅誠の物の言い方や書き方が好きだと思う。発せられた言葉も書かれた言葉も力みがなく、淡々としており、平易な言葉遣いで核心を突いてくる。「主権者は、降りられない」という一文に、ハッとさせられた。「民主主義がめんどくさい」と言って、おれ辞めるわとイチ抜けできるものではないのだ。自分の人生を、誰かに決められるのではなくて自分で決めたいのなら、それが実現できるようにめんどくさいながらも他者と協力するとか自分の考えを伝えるとかしていかないといけない。めんどくさい分、それが実を結んだ達成感もひとしおだ。」


12月17日読了 駒崎弘樹『「社会を変える」を仕事にする』

「駒崎さんは言葉の使い方、文の作り方がうまいなと思う。あっという間に読んでしまった。社会的企業事業はそれを利用する人のみならず、利用者とつながりのある人にも福利を提供する。病気になった子どもを預けられたら、子持ちで働く人は安心ができる。雇う方からすれば従業員の欠勤リスクが下がる。病児保育のサービスがあれば、いずれ子育てを考えている働く人たちの心配も少なくなる。さらに駒崎さんは、そもそも子どもが病気になっても休めない会社のあり方を改善する行動も起こしている。本のタイトルそのままの人だ。」


12月27日読了 山野良一『子どもの最貧国・日本』

「これを読めば「子どもの貧困」の何が問題かについて概観できる。著者は留学したアメリカの理論や研究を主に取り上げながら、児童福祉司の経験をもとにした事例を紹介している。貧困が子ども自身に及ぼす影響の実態がよく分かる。この本を読んで、貧困とはなによりその状況に自力では到底抗えないことであると感じた。貧困に陥ると適切な介入がない限りますます困窮していく。状況を変えられないのだ。貧困でない人が、健康に気を使ったり勉強したりして自分の生き方をより良い方へ変えられるのとはまったく異なる。貧困は人間から抵抗と向上を奪う。」


読んだ本を登録してあるので改めて見てみると、ああこれを読んでいたときはこういう時期だったなあと思い起こされる。
今年は諸事情があって、あちこちに飛び回ったり、さまざまな分野の本を引いたりで、肝心の専門を今一つ深化させられなかった。
その分得たものを、来年にどう活かすか。

子どもにサンタはいるのかと訊かれたらどう答えようと考えるだけの人生だった。

じんぐっべー!じんぐっべー!スズムラ・ケン♪(イチ!)
全国に数いる鈴村健一のなかでも私が思い浮かべるのはこの人。
Kenichi Suzumura - INTENTION

騙されたと思ってジングルベルに合わせて上記を口ずさんでみてください。
頭から離れなくなります。

※本文に鈴村健一は関係ありません。

ジングルベルの曲を耳にするとふと、子どもにサンタはいるのかと訊かれたどう答えようと考えます。
私なら子どもがそのように言うことで何を知りたいかについて、考えをめぐらします。
サンタがいることに何か期待しているのか。たとえば、おもちゃがもらえる。
小さいころ私もそうでした。普段は買ってもらえないおもちゃが、サンタにお願いすると25日の朝にある…。
その夢はある年の朝、起きたら枕元に学習教材が置かれていたことで打ち砕かれました。
ああ、願いは叶わないんだ。サンタはいないんだって。

サンタにおもちゃがもらえると考えている場合、前提として親にあまりおもちゃを買ってもらえないことがあるでしょう。
ではどうして親は子どもの欲しがるおもちゃをそうそう与えないのか。おじいちゃんやおばあちゃんはどうしてああも買い与えてしまうのか。
親が買ってあげないものをなぜサンタは子どもに届けるのか。
謎は尽きません。

私はすでに過去の経験からサンタの存在を信じていません。
親にねだっても買ってもらえなかったおもちゃを買ってくれるサンタはいませんでした。
べつに親自身も信じていたわけではないでしょう。本気で信じていたならサンタの代わりに準備をするなんてことはしないはずです。
実は、私が先の子どもの質問(あるいは難問)にどう答えるかという手がかりがここにあります。
それはアンサーというよりもレスポンスです。「正解」は私も知らないのですから。

子どもはサンタを信じていた。
親はサンタを信じていないのに、あたかもサンタがいるかのように振る舞った。
子どもはサンタの存在を実感した。

サンタを信じるか信じないか、それ自体を比べてどちらが正しいとは言えません。
信じていない方が賢いわけでも、信じている方が馬鹿なわけでもないでしょう。

子どもが信じているサンタが、私の信じていないサンタであるとは限りません。
自分が信じていないその一点をもって、子どもが信じるサンタを否定することはできないのです。
もしそれを否定するなら、子どもが信じているその一点をもって、サンタがいることを肯定しなければなりません。
乏しい根拠でAを主張するなら、乏しい根拠でもAでないとする主張を認めなければアンフェアです。
自分の一体験で子どもの信じていることを全否定することをしてはなりません。

相手の言っていることに、つじつまの合わない部分はないか。
否定することがあるとしたら、その話のなかで整合性がとれていない部分です。
それだって相手の話にまずは耳を傾けて、吟味してから。
これは、いたずらに否定することだけでなく全肯定する危うさに対しても同じです。

私が贈るプレゼントは、子ども自身が自分の考えや思いに気づけるようになること。
その時が巡ってきたとき、このことをできるようになればなと思います。

なんだかんだ言いつつも、きっと私も子どもの枕元にプレゼントを置くのでしょうけど。

私には野望がある。

昔から、周囲に影響を与えたり、作用をもたらしたりすることが好きだった。
変えること、その発端に自分がいること、それに堪らない高揚を感じた。
同じもの(決まったスケジュール)には嫌悪を抱き、変わらないもの(慣習)には疑問を抱いた。
それはきっと小学校高学年のとき、自分が遊びの中心となって毎日取り仕切っていたことに関わるがある。
遊び方や遊ぶ内容を仕切り、友達の反応を得るなかで「変える」ことの面白さを体感していった。
思い返してみればそれ以来、将来の夢の内容はどれも何かを変えること(変化)を含んでいる。

中学後半から高校前半の夢は小説家になって読者に思いを訴えること。
高校後半の夢は経営コンサルタントになって仕事と職場を適性化すること。
浪人時代の夢は厚労省に勤めて社会保障を拡充するか、日銀に勤めて国家財政を改善すること。
大学時代の夢はワインを通じて生活に彩りをもたらすか、院に進んで社会保障の研究をすること。
現在の夢は、日本に福祉社会(Well-being Society)を実現すること。

私はいま、大学院の博士前期課程(つまり修士課程)1年生だ。
修士論文の構想は、福祉国家から福祉社会へと移行したデンマークの事例を参照し、それが何故どのように起きたかを記述、考察すること。
そして、日本において福祉社会を実現するために必要な条件を明らかにすること。

福祉国家は第二次大戦後に先進国で形成された。
私の直観だが、福祉国家福祉 well-being について国家が(それは官僚であり政治家である)考え、施すあり方だった。
それに対して福祉社会は同じことを考えるにしても社会が、つまり一人ひとりが考えるあり方ではないか。
福祉社会、それは一人ひとりが福祉 well-being について考える社会。

福祉 well-being とは何か。単に存在しているだけでなく、“よりよく存在している(良好な状態)”とはどういうことなのか。
ただある being だけでは不十分なのか。何故、well-beingについて考えなければならないのか。
どうすれば良好な状態といえるものを実現できるのか。
福祉 well-being が毀損されているとき、あるいは福祉 well-being を実現することが阻害されているときに何をすべきなのか。

そういったことを一部の人だけが考えるのではなく、すべての人が考える社会の実現を目指す。
一人ひとりが自分自身にとってのよいあり方、社会や国家のよいあり方、ひいては世界のよいあり方を考えられるように。

大学院を終了したあとのことはよく訊かれる。
私はてらいもなく、「教授」と答える。
それは字面の通り、教え授けるために。
何を?
一人ひとりがwell-beingを考える機会を。

私が大学院在学中はもちろんこと、これからするであろう全てのことはそこに収束する。
修論を書くことも、博士を目指すことも、大学の内外で活動することも、こうして文章を書くことも。

I have an ambition.
私には野心がある。
全ての人が自分自身の人生を生きられるようになること。
一人ひとりがよいあり方を考えられるようになること。
そのためには私はいま、ここにいる。



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