政策・情報 学生交流会

【重要】交流会開催取り止めについて – 第47回 政策・情報学生交流会

「政策・情報 学生交流会がやられたようだな…」
「フフフ…奴は四天王の中でも最弱…」
「時の流れ如きにやられるとは学生団体のツラ汚しよ…」
※政策・情報 学生交流会とは、「『総合政策ってなんだろう?』という問いから始まり、全国の政策に興味のある学生の支持を集めて、20年前に発足した」、学生のみで運営されてきた会のこと。
「交流会の歴史・概要」より
交流会の歴史・概要 | 第42回 政策・情報 学生交流会


 会それ自体の失敗と運営スタッフ自体の失敗とは、区別した方がいいように思う。運営スタッフの広報や集客が適切であったかは、外部からだと分からないので言及しない。ただ言えるのは、第47回を中止するのと、会そのものを終了させることは、話がまったく違うということである。
 交流会自体の終了させる場合には、過去参加していた人も含めて納得のいく根拠をはっきりさせる必要がある。ありていに言えば、それなら仕方ないよねと認める他ない根拠をだ。
 その根拠を考えてみようと思う。この根拠をもとにして、もう一度考えなおすのもありだし、交流会を模した別の会なり団体を立ち上げるのもありだろう。むろん、終わることを納得して見届けるのも。
 
 まず、交流会が本来の目的とは離れた場になりつつあったことは、ここ数年参加していた私の目にも明らかだった。会発足当初の「総合政策とは何か?」を問うよりも、学生の自己啓発に偏っていたことは否めない。
 それを受けて、交流会が単なる娯楽、気持ちの良さを求める場ではないということを、言葉にしてきた。少なくとも私にとって交流会とは、自分が考えてきたことや伝えたことがどこまで他者に伝わるか試す、挑戦の場であった。
政策・情報 学生交流会はエンターテインメントじゃない - ここに広告塔を建てよう


 次に、外部に目を向ければ、会を取り巻く環境の変化が追い打ちをかけた。大学入学者数の頭打ちと減少、大学での単位認定の厳格化、バス交通費の高騰、仕送り額の減少、増えるバイトの時間など。要するに、会に参加すること自体が難しくなってきているのではないかと思う。
 交流会への参加(3泊4日)には一回につき2万円から3万円の費用がかかる。学生の住む場所によっては更にかかっていた。けっして安くはない額を払ってまで行こうと思える会であり続けていたか、再考する余地は大いにあった。
 また、交流会が始まった20年以上前とは社会状況が大きく変わっている。今となっては全国の学生と会えることは、珍しいことでも難しいことでもないだろう。なんなら全世界の学生と会えるし議論もできる。交流会と競合するイベントは増えていると考えるのが妥当だ。
 様々な学生と会って議論するという特徴の希少性は、相対的に薄れている。珍しくもない会に参加するには負担が大きい。それになにより、最大の持ち味である「総合政策とは何か?」を問う視座が後退した。こういったことが、交流会の魅力減少に拍車をかけ、中止に追い込まれたと言えよう。

 今回のことを機に、交流会の過去参加者には「自分にとって交流会とは何であったか」を語ってほしい。交流会に参加した感想ではなく、参加していない人にも交流会のことが伝わる内容を。感想は出来事を共有した人のうちでしか広まらない。
 交流会がこの先開催されないなら、新しい感想は生まれてこない。それでは交流会が錆びついてしまう。統廃合されてなくなった母校の思い出のように、埃をかぶってしまう。「懐かしいね」という感傷ではなく、ずっと血の通った経験にする。交流会が終わっても活かし続けたいと私は思うのだ。

第46回 政策・情報 学生交流会に分科会企画者として参加した学生による記事
shima-kun041.hateblo.jp

おまけ「総合政策学とは何か」
「総合政策学の学位を得られたことを大変嬉しく思います。この四年間は総合政策学が何であるかについて気づくことのできた四年間でした。総合と名がつくからには誰かが何かを総合しなければなりません。誰がするか。私たちです。何を総合するか。政策です。そしてその政策とは問題解決・原因解消のためにあります。問題はあるべき状態からの乖離ですが、そのあるべき状態は私たち一人ひとりが定めるものです。
つまり総合政策学とは、私たちがあるべき状態を定めて問題を明らかにし、その解決のための政策を総合させる一連のプロセスと態度であると私は気づきました。それには自ら問いを立ててそれに答えることが必要です。このことは私たちが大学を離れたあとでもずっと大切なことです。総合政策学は大学で終わりではありません。それに気づくことができた歓びで以て祝いの言葉とさせていただきます」

2015年3月24日付 某大学総合政策学科卒業生代表挨拶より