寄せては返す、家族という存在


家族の話は、心をざわつかせる。波風を立てる、とはよく表現したもので、波風がごうごうと防風林を揺らしてくる。
どんより暗雲が立ち込めて、灰色の波が飛沫をあげ、風が辺りをさらっていく。
特別なことはなくとも、個別にある家族への思いと思い出が、めくりめく移ろう。
からっと晴れやかな空のもと、ここちよく足もとを行き来していた波が、ある日突然、足を掴んで遠くへ連れていこうとする。
知らない人たちのような顔をして、もっとも近しいと思っていた人たちが、そこにいる。
近くにいたということと、近しいということは、べつに等しくないのだと気づいてしまう。

悪い人たちだったわけではない。ただ、彼らなりの人生があって、間違いなく十数年のあいだ子どもたちは、その一部だった。
ひと一人の人生に、もう一人入ってしまった歪さは、その一人の成長につれて内から割れんばかりの罅(ひび)になる。
子離れにしろ、親離れにしろ、永く続くものと思っていた“ホーム”を、不安定にする。
どうしてもできてしまう空洞を、埋めようとして、引き留めたり留まったりする。
実のところ、その空洞は、ひと一人が育った証だ。
その空洞にはかつて、自分ならざるものがいて、それは自分ならざるものに育てられた。

巣立っていった人たちは、あらたに自分が生きるための“ホーム”を、揺れる世界に築きあげる。
幾人かは、電車の席を空けるように身をよけて、“ホーム”に人を住まわせる。
ある人は波に流されないように錨を下ろし、ある人は波に乗って筏を走らせる。
たまさか響いた潮の香りに、鼻の奥がツンとして、心がざわめく。

「あなたの子どもは あなたの子どもではない」
倫敦橋の隠れ里 カーリル・ギブラン詩集より

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幸運を呼ぶものを買おうとしていた親に向かって子どもが言ったことは、
子どもを育てあげた事実を前にすれば、不確かなものに縋らずとも、確かに幸運であろうということ。
他の誰でもなく、あなた自身が、幸せを成し遂げたのだ。今さら、他を頼るまでもない。